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書籍紹介(文庫)

「戦艦武蔵」を読んで日本の組織を思う

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吉村昭の「戦艦武蔵」を読んだ。battleship-musashi

本について話す前に、まず武蔵について。武蔵は日本が建造した最後の戦艦であり、大和型戦艦の二番艦である。大量の物資と労力とお金を費やして建造された。当時の金額で約1億5000万円。今の物価基準では3000億円弱程度。海上自衛隊のひゅうがの建造費用が1000億円程度なので、実に高い建造費用であると言える。

武蔵は日本の聯合艦隊の旗艦として建造され、太平洋戦争が始まり日本の進撃が止まったミッドウェー海戦以後に就役した。結果論で言うと戦争には何にも役立たなかったと言ってもいいだろう。旗艦としてトラック泊地やパラオ、呉といった常に後方に位置し、戦闘をしていない。陸軍を載せた輸送艦としても活動した。最後は多量の航空機からの攻撃を受けてシブヤン海に沈んだ。

と、戦争では完全なる役立たずであった武蔵だが、航空機からの攻撃では中々沈まないという点だけは評価出来る。推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という軍艦史上最多の攻撃を受けて沈没したという点は、日本の造船技術の高さが分かる。何を建造するかを決定する海軍の指導者達が無能であった事が最大の問題だ。

前置きが長くなったが吉村昭の「戦艦武蔵」では、武蔵の建造から沈没までを一貫して記録文学として読む事が出来る。フィクションでは無く、史実といて取材に基づいた記録文学である。どういう想いで建造され、そしてどう使われ最後を迎えたのかを読む事が出来る。

武蔵の建造は長崎で行われ、現在の「三菱重工業長崎造船所」で建造された。建造は極秘であり、防諜や資材の調達等も含めて相当な努力を行なわれながら建造された。

読めば読む程いかに当時の日本の軍隊という指導者が決断力に欠けていたかが分かり、今の日本の経営にも通じるものがある。

具体的には、日本の海軍は歴史上初めて空母を集中運用して真珠湾攻撃を実行した。プリンス・オブ・ウェールズをマレー沖で沈め、珊瑚海海戦等航空機を活用した戦略を非常にうまく取り入れている。しかしながら、旧態依然である大艦巨砲主義下においても勝とうとして大和型戦艦を4隻も建造した。(内2隻が完成し、1隻は空母に改造され、1隻は解体)つまり、どっちつかずの戦略を取ってしまった。

資源に限りが無いのであれば両方に全てに力をかけるべきであろう。しかしながら日本は大きな組織であればあるほど1つに決める事が出来ない文化だ。限りある資源でも両方に力をかけてしまった。結果、日本には開戦時まともに使える正規空母6隻のみとなり、開戦後に就役した正規空母で艦載機を積んで戦列に入ったのはたった1隻(大鳳)だけであった。大和型戦艦は結果的には何も活躍せずに沈んだ。

歴史に「もし」はありえないのだけど、こうすべきであったと考える題材としては良い素材になるであろう。機動部隊という新しい戦術を生み出したのは日本だ。空母の集中運用という戦術を編み出しながら、そこに集中する事が出来なかった日本。この戦艦を建造する資源を他に振り向けていたらどうなっていただろうか。

ちなみに日本が航空主兵に切り替わったのは1943年であり、ミッドウェー海戦以後も海軍首脳は大艦巨砲主義を捨てきれなかった。アメリカも真珠湾攻撃以前は大艦巨砲主義であったが、以後はタスクフォースを完全に航空主兵に切り替えており、意思の変換がうまくいっている。

現在の世界では制海権はアメリカが握っており、全世界に空母を展開している事からこそ出来る事だ。
空母が戦争の主体になるのを作ったのは日本であり、空母同士で戦争をした事があるのもアメリカと日本だけだ。ましてやアメリカの空母を沈めた事があるのも日本だけだ。それも戦争の前に事前の機動部隊の準備をしていたからこそ出来た事である。

今のビジネスでも新しい戦術が世界を一変させる事がある。AppleのPCやiPad、iPhone、SONYのウォークマン等々新しい世界が出現する。現在の日本の企業の経営はどうであろうか。大きな企業であればある程新しい挑戦のみに社内を統一する事は不可能に近い。

機動部隊というドクトリンは大艦巨砲主義を旧態依然の物としてしまった。戦艦が戦後新たに起工されていない事からも分かるだろう。

そんな事を色々と考えさせられた一冊だった。

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